Tribute to Sultanov Vol.2 ~今泉響平ピアノリサイタル~

アレクセイ・スルタノフへのリスペクトをテーマにしたコンサートシリーズ「Tribute to Sultanov」の第2回目を開催致します。
ピアニストは、モスクワ音楽院に学ぶ今泉響平さんです。
Tribute to Sultanov Vol.2のお知らせ

概要

公演タイトル:Tribute to Sultanov Vol.2 ~今泉響平ピアノリサイタル~
- 偉大なる巨匠アレクセイ・スルタノフへ、愛と感謝を込めたコンサート -

日時: 2015年12月28日(月) 13:30 開場 14:00 開演
会場: 紀尾井町サロンホール(東京メトロ麹町駅、永田町駅 徒歩4分)
前売:3,000円 当日:3,500円 全席自由

出演
ピアノ:今泉 響平
トーク:村上 雄介

主催: アレクセイ・スルタノフ支援会
後援:一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)、MPM企画

プログラム

モーツアルト:ピアノソナタ 第10番 ハ長調 K.330
ショパン:スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31
チャイコフスキー:四季より10 月「秋の歌」Op.37bis
リスト=ブゾーニ=ホロヴィッツ:メフィスト・ワルツ第1番(スルタノフ版)
シューベルト:即興曲 変イ長調 Op.90-4, D899-4
ラフマニノフ=ホロヴィッツ:ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.36(スルタノフ版)

曲目・曲順が変更になる場合がございます。

出演者プロフィール

今泉響平(Kyohei Imaizumi) ピアノ
1992年生まれ。福岡県出身。10歳よりピアノを始める。
これまでに井崎正浩指揮スズキ・メソード管弦楽団、アレクサンドル・フルギン指揮カントゥス・フィルムス管弦楽団、アレクサンドル・シュロフ指揮ルガーンスクフィルハーモニックアカデミー交響楽団、アンドレイ・レイン指揮グネーシン音楽大学室内管弦楽団とピアノ協奏曲を共演。
第39回ピティナ・ピアノコンペティション特級セミファイナリスト。第1回ラザール・ベルマン国際ピアノコンクール(イタリア)第1位、ピアノアジア賞。
第27回,第28回福岡県高等学校音楽コンクールピアノ部門金賞。第2回スロボジャンスカ・ファンタジー国際ピアノコンクール(ウクライナ)第3位。第14回マリア・ユーディナ国際ピアノコンクール(ロシア)第2位。第58回西日本国際音楽コンクール聴衆賞。第9回マスターへの道国際ピアノコンクール(ロシア)第2位、ヴィルトゥオーゾ賞。クラシックアカデミー国際コンクール(ロシア)グランプリ受賞。第8回ロマンティシズム国際コンクール(ロシア)第1位、ヴィルトゥオーゾ賞。
第4回クリミア音楽祭(ロシア)
重松正大、イリヤ・オフチニコフ、ミハイル・ヴォスクレセンスキー各氏のレッスンを受講。これまでに中島京子、田中やすゑ、田中正也の各氏に、現在はヴラディーミル・オフチニコフ氏に師事。
福岡県立福岡講倫館高等学校卒業後、渡露。現在チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院ピアノ科5年に在籍中。 現在日本とロシアを中心に演奏活動を行っている。

村上雄介(Yusuke Murakami) トーク
日本アレクセイ・スルタノフ支援会代表。
1996年より「アレクセイ・スルタノフ応援サイト」を立ち上げ、スルタノフファミリーと連絡を取り合いながら、国内外への啓蒙を行う。
2004年「アレクセイ・スルタノフ ライブ・イン・リガ」CDの製作の企画・監修
2008年・2009年 スルタノフ追悼コンサート「Homage a Sultanov」の企画を実施
2014年「Tribute to Sultanov」シリーズの企画および出演

アレクセイ スルタノフ (Alexei Sultanov)
1969年8月7日、チェリストの父、ヴァイオリニストの母より、ウズベキスタンの首都タシケントにて生まれる。6歳よりタマーラ・ポポヴィチ女史に師事。7歳でモーツアルトのピアノ協奏曲(K.382)を演奏しデビュー。モスクワ中央音楽学校、モスクワ音楽院でレフ・ナウモフに師事。1989年、最年少の19歳で第8回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝。1995年第13回ショパン国際ピアノコンクールにて最高位を受賞。スルタノフはコンクール史に残る多くの名演を残し、コンクールは常にスルタノフを中心に回った。コンクール後は日本やポーランドを中心に世界中でコンサートを行い、常に聴衆を熱狂させていた。
2001年、硬膜下血腫にて入院、左半身麻痺になる。スルタノフ夫人との二人三脚で、厳しいリハビリメニューを行いながら、2004年右手のピアニストとして、ボランティア活動を開始する。病院施設などで電子キーボードを使ったミニコンサートを繰り返した。大きな病を抱えながらも、スルタノフが懸命に右手でメロディーを奏でる姿は、重症患者たちに"ネヴァー・ギブ・アップ"のメッセージを与え、大きく勇気付けた。同年アメリカ合衆国国籍を取得。2005年6月30日 フォートワースの自宅にて逝去。
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